top of page

 

 修正会(しゅしょうえ)      日時:一月一日から三日まで

​ 

 毎年正月初めに旧年の悪を正し、新年の天下泰平、五穀豊穣、万民和楽など、吉祥を祈る法要のことで、中国の年始を祝う儀式が起源であるようです。日本では奈良時代から連綿と続けられて参りました。各宗派、各寺院ごとに特色ある法要がおつとめされておりますが、当山では、「大般若経理趣分読誦」、「祝祷朝課」がその中心です。

1181_edited_edited.jpg

『般若理趣分』

1185_edited_edited.jpg

 大般若経理趣分読誦

 

 般若経典と呼ばれる、非常に浩瀚な経典類は、大乗仏教の「空」の教えを示すという側面と、同時にもう一つ、お経自体が呪文として、不思議な力を宿すと信じられてきた側面とがあります。例えばお経を筆で書写する写経。写されるのは『摩訶般若波羅蜜多心経』というお経が最も一般的です。心静かに浄机にむかい、厖大な般若経典類から抽出生成せられたエキスといってよい『般若心経』を浄写しながら、一方ではまた、それが「空」の教えを世に広めることにもなるわけで、無量無辺の功徳を写経の当人がこうむる勝縁ともされるわけです。『耳無し芳一』というお話をご存知でしょうか?平家の怨霊から芳一の姿を隠すために、裸形の芳一の体表に経文をびっしり書き込んでいくという一場面がありましたが、これも『般若心経』であったかと思います。お経に宿る神秘的な力を感じての故であったでありましょう。 

 

 いわゆる般若経典の始まりは紀元前後にあるとされており、その歴史は2000年を超えます。その間、途絶することなく多くの人が学び、伝えてきたという事に改めて思いを致すと、一種名状しがたい不思議な感にかられます。この一年の始まりの日にあたって、心新たに『般若心経』を読誦しご参詣のみなさんばかりでなく、お檀家の皆さん、お寺とご縁のある皆さん、そして日本中の、世界中の皆さんと共に、世界の安寧をひたすら願って祈祷を勤めております。

 

 さて、その般若経典類の中でも、禅宗で尊ばれる『大般若経』とは、『西遊記』でお馴染みの三蔵法師(玄奘三蔵)がインドから中国へ持ち帰って、訳された六〇〇巻からの膨大な量を誇る経典です。そのボリューム故に限られた短い時間では、全巻を読み終わることは到底かないません。そのため当山では、もっとも強く、その「空」の理念を抽出したとされる、第五七八巻『般若理趣分』を住職が、おおよそ半時ほどで読誦し、六〇〇全巻の読誦に換えております。

1221_edited.jpg

瑩山禅師のご位牌

DSC01002_edited.jpg

​泉龍寺ご本尊・薬師浄瑠璃光如来

1218_edited.jpg

道元禅師のご位牌

 祝祷朝課

 

 まず、朝課とは朝のおつとめのことです。そして特に一日、十五日にて行うおつとめを、祝祷朝課(しゅくとうちょうか)と申します。月の満ち欠けを基準にしていた旧暦では、一日は新月であり、十五日は満月でありました。一日には、過ぎにし半期の二週を無事全うし得たことへの感謝の念い、と共に、志新たに物事を始めんとする喜びの発露。十五日には、丁度折り返し点に立ってかねてより自らが掲げる目的目標に向かい、なお奮励努力せんとする勇気の確認。いずれにせよ、この両者は、常なる進一歩を自らに課する、まことに目出たい法要であるということができます。おつとめの内容は、以下に紹介する六つの諷経から成り立っております。

※ちなみに諷経とは経文を声に出してお唱えすることです。

 

 祝祷諷経

 お唱えする経文は『摩訶般若波羅蜜多心経』です。

 教えの主になられるお釈迦様、この道場の本尊である薬師如来、曹洞宗の開祖である道元禅師・瑩山(けいざん)禅師に対し、その無窮の法恩に報いるべく、経文をお唱え致します。

 応供諷経

 お唱えする経文は『摩訶般若波羅蜜多心経』です。

 もしも我々のご先祖様代々のご縁が、少しでも違うものであったならば、今日の我々は存在しないという事実に対して、誰もがその縁(えにし)の不思議を思い、ついで、その縁に大いに感謝の念を抱くに違いありません。

僧侶にしてもそれは同様です。お釈迦様が、例えどの様に素晴らしい教えを説かれたとしても、その教えを伝えてくださる方々がいらっしゃらなかったらば、後世の我々はその教えに触れることは一切出来ませんでした。「応供」とは「応受供養(まさに供養を受くべき)」、つまり供養を受けるに価する者という意味になりますが、お釈迦様の直弟子をはじめとする我々の先人達や、時には名前も失われて歴史の上には姿を残さぬ大勢の先徳方が、実は今もなお世界中の彼方此方で法を説き続けていらっしゃる、と頂いて、こうした羅漢様方をこのお経で顕彰申しあげます。

1224_edited.jpg

 祖堂諷経

 お唱えするお経は『参同契(さんどうかい)』です。

 禅宗という宗派の特徴は、といえば、まず当然ながら「坐禅」を挙げることになります。ですが、それだけではなく、お釈迦様の教えが、今日の自分にどの様に伝わってきたかという「法の系譜」を大変重要視します。一代から、また次の一代へと途切れることなく相続されてきた、教えの系譜を、ともしびからともしびへの受け継ぎに例えて「法灯」の相続といいますが、教えが遠くインドで始まり、次に中国へと伝え、また我が日本へ脈々とともしびを継いでこられた、歴代の祖師方に対しての諷経があげられます。

左は、インドから中国へと、「法灯」を伝えられた菩提達磨大和尚です。禅宗の初祖として、あるいは歴代の祖師の代表として、ダルマさんと呼ばれ親しまれています。

 開山歴住諷経

 お唱えする経文は『宝鏡三昧』です。

 この諷経では、当山泉龍寺の歴代の住職にお経をあげます。こうして、この道場で寺檀共に新年の喜びを迎えられるのは、御開山(ごかいさん)並びに代々にわたって当山を護持して下さった、歴住方の精進の賜物でありましょう。開山・嶺瞻壽察(れいせんじゅさつ)大和尚から先代の二十四重興・良覚禅光(りょうがくぜんこう)大和尚までお一人お一人お名前を唱えながらご回向申しあげます。

CIMG1263_edited.jpg

​泉龍寺御開山・嶺瞻壽察大和尚坐像

 祠堂諷経

 お唱えする経文は『大悲心陀羅尼』です。 

 当山を外護し、この境内地に立派な伽藍を造営して、今日のご縁を紡いで下さった当山檀中各家代々のご先祖さん方への報恩謝徳のお経であります。そうした位牌堂に奉祀の精霊、更には過去の過去際から今日に至る重々無尽のご縁の綾なす中で、我々は、現在、この時を享受しております。そして良覚廟結縁の諸精霊、更には過去、現在、未来の枠を越えた一切の群生に対してお勤め致します。

CIMG0615_edited_edited.jpg

泉龍寺位牌堂

 鎮守諷経

 お唱えする経文は『大悲心陀羅尼』です。

 これは、鎮守さんへの諷経です。鎮守さんとは、天災・人災を問わず様々な厄難を鎮定し、仏法や伽藍を守護する神々のことです。当山では、金毘羅大権現、秋葉三尺坊大権現、明覚道了大薩埵の三所を鎮守様として仰ぎます。更にはまた、この国の八百万(やおよろず)の諸神にもお声がけして、人々の心のよるべとしてこの地を安穏なさしめたまえと祈念致します。 

 さて、ここまではお釈迦様をはじめとする法縁に連なる様々な方々に対して、お経文を唱えるということでお勤めをするということを、紹介してまいりました。しかし、何より大切なことは、その経文を唱えられる対象と、経文を唱える我々一人一人が、決して別個の存在ではないということです。当ホームページ「ブログ」の「平成三十一年元旦」の項でもふれましたが(そちらでは、焼香や礼拝を例にしております。)、お経をお唱えしていると、自分も無ければ拝む対象も無いという場面に必ず出くわすことになります。この拝むという行(ぎょう)の真っ只中は言葉で表現することができない。その名前のつかないものこそ、お釈迦様であり、羅漢様であり、祖師方であり、ご先祖様であって、もともと名前のつけようのない所ですから、逆に何と表現しても良いわけです。かねて自分と思っていたもの、また他の誰かと思っていたもの、そうした自他の枠がすっぽり抜け落ちてしまう、それこそ「生きる喜び」を実感得心する瞬間でもあります。そんな風に一つの世代から、また新たな次の世代へ、命の「法灯」は伝えられてきました。時代の変遷の中で、時にその「法灯」の光量や色合いに差が出るかもしれませんが、当代を荷うともしびの一人として、それぞれのつとめに邁進してまいりたいと思います。

 

bottom of page