永平寺に行ってきました
- 住職
- 10月1日
- 読了時間: 3分

お彼岸に入るあたりから、グググっと気温が下がった。
それまでは熱帯夜が続き、タオルケット一枚で寝ていたのが、
朝方、あまりにも寒くて、押し入れの掛け布団を取り出そうとした。
寝ぼけ眼で、積んである布団の山の下の方から、
掛け布団を力任せに引っ張り出したので、
途端に押し入れから布団が雪崩の如く崩れ出し、
見事に布団の下敷きになりました。
今月は「急がば回れ」を胸に生きていきたいと思います。
さて、そんな和尚 雄道です、こんにちは。
先日、以前修行していた、
福井県の曹洞宗大本山永平寺にお参りに行ってきました。
先代住職が、永平寺七十七代目住職の直接の弟子で、
今年が三十三回忌に当たり、今回師匠の代わりに、
その法要に参加し、お焼香をしてきました。
私がお世話になったのは、合計3年程度の短い間、
それでも久しぶりに行くと、色々思い出が蘇ってくる。
入門一年目の私は、不真面目だったわけではない。
先輩の指示にしっかりと従い、手を抜かず、さぼらず、
決められた事を合理的に進めていく。
組織の中の歯車としては、それなりに役割を果たしていた様に思う。
しかし、決して褒められるべき修行僧ではなかった。
「2-6-2-の法則」という言葉がある。
一つの集団は、
二割の人間が「優秀」
六割の人間が「普通」
二割の人間が「成績不振」によって構成されているという法則。
今考えると、穴があったら入りたいものだが、
私は自分をその二割の「優秀」に属すと、心の奥で思っていた。(ああ、恥ずかしい。。。)
いわゆる「調子こいていた」のである。
それが変わってしまったのが、二年目の冬、
永平寺の法要に関わる役目に就いた時。
簡単にいえば、私は法要が苦手であった。
法要を行う、永平寺の「本堂」は380畳程の広さがありますが、
そこを、立ち座りから、歩幅から歩き方まで全て周りに合わせる、
自衛隊の行進の様な動きをしながら、読んでいるお経に合わせながら、
法要中、縦横無尽に動き回る、そんな体力勝負の役目である。
まず、頭でっかちの青瓢箪(あおびょうたん)には、体力がない。
そして運動神経が悪く、頭でわかっていても体がついて来ない。
おまけに不器用で、臨機応変な対応が苦手な人間であることを、
骨の髄まで思い知らされた。
「自分、不器用な人間ですから。」と言って許される、高倉健さんはずるい。
修行道場では、もちろん許されず。
必ず、連帯責任という形で責任を取らされる。
一人のミスは、その時の同期7人、全員のミスとなる。
毎日毎日、周りの同期の修行仲間に迷惑を掛け続けてしまった。
しかしそんな私を、同期の修行僧達は許してくれて、
「大丈夫、すぐに慣れるよ。」とか、
「お互い様だよ。」とか優しい言葉を掛けてくれるもので、
本当に申し訳なくも、ありがたく、
同時に自分が不甲斐なくて、悔しかったのを覚えている。
「優秀」どころか「成績不振」
いやさらにその下の、集団に属す資格の無い「落第」という存在であったと思う。
永平寺に来て、意外と順応していた自身に天狗になっていたところ、
その伸びた鼻を、見事にボキっと折られた経験。
改めて思い返しても、苦いものではあるものの、感謝もしているわけで。。。
「臭いものには蓋」と申しますが、
あまり思い出したくない過去があるのは、あるもので、
しばらく、本山には行きたくないなぁと思います。
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