天使と悪魔、それから仏さん

和尚の雄道です、こんにちは。
よく映画等で、その登場人物の頭の中に、天使と悪魔が出てきて、
その人間の心の葛藤を描くことがあります。
例えば、ダイエットをがんばっている真っ最中、ある日喫茶店に入ると、
目の前には美味しそうな、しかし甘ーい、脂をしっかり含んだドーナツがズラリ。
とたんに頭の中で悪魔が現れ、
「旨そうな、ドーナツじゃねえか、苦いコーヒー片手にあれを口に頬張ってみろよ!
サイコーだぜ!なぁ喰っちまえよ!」
と、そそのかしてくるかと思うと、
今度は天使が現れ、
「やめるのです。ここまで懸命に我慢し、ダイエットを続けてきたではないですか。
ブラックコーヒーを頼むだけにしておきなさい。」と即座に反論。
すると悪魔が、「何言ってんだよ、これから先、一切旨い物喰わねえつもりか!
短い人生、そんなんでいいのかよ!一個と言わず、2、3個喰っちまえよ!」
そしてまた天使が、「悪魔に負けてはいけません。」と抵抗するのですが、
頭の中の悪魔の口数は豊富なのに対して、天使は「やめろ」としか言わない。
欲望を受け入れる言い訳は沢山作れますが、
欲望に逆らう言葉は中々自分から湧いてこないものです。
都合、この争いは悪魔の勝率が高くなります。
そんな私ですが、最近になってようやく、
勝率がだいぶ天使に傾いてきた様に感じます。
というよりも、悪魔と天使の戦いが消え、
その場に仏さんが入ってくる様になったとも言いましょうか。
曲がりなりにも仏さんの弟子を名乗り、
少しでも仏さんに近づいていこうと20年近く足掻いている現在ですが、
言ってみれば、20年近く仏さんに育ててもらっているというわけです。
出来の悪い子供ながらも、仏さんの顔に泥を塗らない自分でいられる様にと
責任がはっきりと生じております。
「仏さんに、ダイエットすると誓っちゃった。こりゃ守らなにゃ弟子でいられん。」
という具合です。
住職として、僧侶として、何か判断をする時はいつも、
「仏さんならどうするだろう?」と勝手に考える癖がついてきました。
しかしながら、仏さんご本人でも無いのに、
仏さんの様な顔をして、判断したり、モノを言ったりする事を、
「偽善」というのでしょう。
その「偽」の部分をよくよく注意しながら、
できれば生涯を掛けて、「偽」の字を取れます様に、
常に「仏さん」に近づいていこうとするのが、
我々僧侶の修行と言えるものだと受け取っております。
僧侶としての成人を迎えるにはまだまだ道遠いようです。

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