変わるもの 変わらぬもの
- 3月1日
- 読了時間: 3分
和尚の雄道です、こんにちは。
突然ですが、

「消耗品」
↑これを何と読みますでしょうか?
答えは「ショウモウヒン」ですよね?
正解です!
しかしどうやら、本来「ショウコウヒン」と読むのだそうです。
「耗」の字に「毛 (モウ) 」が使われていて、
「ショウモウヒン」という風に、
昔から読み間違えをする人が多かったらしいです。
その様な読み間違いを「百姓読み」と呼んで、
学問が無い等と言い、江戸期の知識人は馬鹿にしていたのだとか。
なんか感じ悪いですね。
しかし実際問題、間違った読み方をする人が、あまりにも多く、
正しく読む人があまりにも少なかった様で、
『じゃあ、もういっその事「ショウモウヒン」でいきやしょう!』
となったみたいです。
いろんな辞書を引いても、現代では、「ショウモウヒン」で掲載し、
末尾に『本来は「ショウコウヒン」と読む』と註が入っております。
パソコンで「ショウコウヒン」とタイプしても「消耗品」は出てきません。
時代を超えて「百姓読み」の勝利です。
「言葉」って、時代と共に柔軟に移り変わっていくものなんですね。
そんな移り変わりを、私は最近のお葬儀に感じます。
以前は、地域の組やご近所で、同じ形式、内容で執り行われた葬儀も、
今では、それぞれのご家庭次第。
10件のお宅があれば、10通りのお別れの仕方を考えます。
それはつまり、
「御自身が親しく交わり、愛した存在を、御自身のお考えに沿って見送り、偲ぶ。」
という事。
実に良い傾向だと思うのです。
それと同時に、お寺や神社と言った宗教からも、
葬儀が離れていっております。
残念ではありながら、これも私は良い事だと思っております。
「御自身が親しく交わり、愛した存在を、御自身のお考えに沿って見送り、偲ぶ。」
その為には、ごく当たり前のことでしょう。
仏式、神式、キリスト教式、その他の宗教、
そして増えているのが宗教色無いのお別れの会と、
会を行わない直葬(ちょくそう)。
「偲ぶ」方法は人それぞれ、
御自身(送る側)の望まれる形で行えることこそ重要だと心得ております。
ところで、先程、
「お寺や神社と言った宗教からも、葬儀が離れていっております。」
と申しました。
事実、お寺離れはかなりの速度で進んでおります。
しかし一方で、
お寺という枠を飛び越え、
和尚の所に直接飛び込んできてくださる方が増えており、
個人的な繋がりは強くなっている様にも感じます。
寺離れは進み、お檀家さんが減る一方で、
一対一の結びつきからの信者さんが増えているという印象。
これも一つの、時代の移り変わりなのでしょう。
それでもやはり、大きな変化の中にあっても変わらないものも確かにある。
それは、
「言葉」を通して多くの人とつながりたいという思いであり、
亡き人との別れに際し、愛しい者を見送り「偲ぶ」想いであり、
春、梅の香に包まれ、花を愛で、動かされる人の心なのかと思うのです。

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