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お風呂大好き

  • 執筆者の写真: 住職
    住職
  • 9月1日
  • 読了時間: 2分
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和尚の雄道です、こんにちは。


最近生まれた言葉で「風呂キャンセル界隈(かいわい)」というものがある。


「風呂キャン」とも略されるそれは、

風呂に入るのを面倒に感じ、意図的に風呂に入らない人々の事で、

特に若い世代に多い様です。


風呂好きである私からすると、

「風呂キャン」一人一人に、

「正気か?おい!」と問い詰めたいところではあるが、

日々の仕事に疲れ、風呂に入る気力すら湧かない人々がおられる事に、

切なさを感じ、

その一方で、年々加速していく、加齢臭との闘いに無縁な世代が羨ましくも感じられます。


「風呂は命の洗濯よ」といった人がいましたが、

衣服を脱ぎ、体を洗い、あったかい湯に体を沈め、

「へふ~ん」とか「ふお~ん」や「んは~」など、

思い思いに声を上げる。


その声と共に、一日かけて体の中に溜まっていた悪い何かが、

口から外に出てくる様な心持ちになる。


さて、そこで私はいつも気になるのだが、

皆さんはその後どう過ごしているのだろうか?


大抵の場合、そこから手持ち無沙汰タイムに突入する。

つまりやる事がない。


常にあれをやって、これをやってと、

何かに追われている現代人の、突然やるべき事が無くなった時、

その人間は何と向き合うのだろう。


周囲の人に聞いてみると、

ある人は仕事の新しいプランを練るらしい。

ある人は本を読む様だ。

またある人は、そんな無駄な時間を過ごさずさっさと風呂から出るという。

一日の事を振り返るという人もいた。

なぜか過去の失敗の事や、辛かった事が思い出されてすぐに出る人もいた。

「私湯船に浸からず、シャワーだけです」という人も。


みんなそれぞれだが、その人と成りが出ていて面白い。


仏教では、お風呂に入って悟りを開いたという

跋陀婆羅菩薩(ばったばらぼさつ)」という仏様がいる。


また、ギリシャのアルキメデスは、

入浴中、「浮力の原理」を発見し、

あまりの喜びに「ヘウレーカ!(みつけたぞ!)」と叫びながら、

裸で街を走りまわり、人々を驚かせた。


因みに私の父は、「風呂キャン」の傾向がある。

自身の中に蓄えた知識や思考が全て洗い流され、

積み上げてきたものがリセットされてしまう様な気がするのだそうだ。


裸で街を跳びまわる様な事以外は、

その人の生き方として、尊重されるべきものなのでしょうが、

少なくとも母と私は顔をしかめている。

 
 
 

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