和尚の雄道です、こんにちは。
「祈り」について皆さんどう思われますか?
「祈ったところで、意味ないよ。」というご意見があります。
祈っても病気は治らない。
災害は起こる。
宝くじは当たらない。
ではそもそも、「意味」のあることとはなんでしょうか?
病気が治ること?
災害が起きないこと?
宝くじが当たること?
確かに、病気を治す、
災害が起きないようにする、
宝くじを当てる、
これらを「祈る」ということのみで実現するのは難しいと思います。
病気はまず治療をしなければいけないし、
災害は起きないように環境の整備をしなければいけない。
宝くじはまず買わなければ当たりません。(ご購入を勧めているわけではありません。)
そしてやるべきことをやったとて、
その先は、人間の思い通りにはいかない。
ままならぬ世の中を生きていく中で、
祈らなければやっていられないことがあるのです。
祈ることぐらいしかできない状況が来るのです。
大切な方が亡くなられ、
その別れに納得が出来ない中、
それでも掛け替えのない存在が、
別の世界にて安らかである様に祈る。
もっと他に、何かしてあげたいけれど、
それしかできないから、ただ祈る。
どうせ思い通りにならぬのだからと、
開き直って前を向き、
明るく陽気に生きていく。
それでもたまに自力での限界が来て、
もうどうしようもないから祈るくらいしかできん。
それが「祈り」。
今年一月元旦、大きな災害によって多くの命が失われ、
今も多くの方が大変な思いをされておられます。
遠く山梨の地で、坊主一人が祈ったところで、
亡くなったお方が戻るわけでもなく、
寒さが緩むわけでもなく、
腹も満たされないでしょう。
それでも、被災された方々に祈りを捧げさせていただきます。
皆様が、いつの日か笑いあって過ごすことの出来ますこと、お祈り申し上げます。
加えて、今このブログを読んでおられるあなたへ、
暦の上では春と申しましても、まだまだ寒い季節が続くことでしょう。
十二分に、お体ご自愛いただければと存じます。
それでは、お元気で。
これも「祈り」。
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