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月指す指



住職の雄道です、こんにちは。


「偶像崇拝 (ぐうぞうすうはい )」という言葉があります。


眼に見えない存在である、神様、仏様をイメージして、

石や木材や金属に刻んだり、絵に描いて、

それを崇拝してはダメですよ!という事。


ユダヤ教、キリスト教、イスラム教等で、

偶像崇拝の禁止は顕著で、

殊にイスラム教では徹底して守られ、

反する行為は一切許されません。


ところで仏教では、お釈迦様ご自身

偶像崇拝を禁止しておられました。


人間の心は眼に見える「モノ」にどうしても執着してしまう。

教えの本質は、仏像や仏画の中にあるのではなく、

その身体で、人生を通して実践していくものだ、

という事なのかと受け取っております。


しかし、世界中に建てられた多くの仏像が物語る様に、

現在偶像崇拝は禁止されてはおりません。


奈良や鎌倉の大仏など、

眼に見える存在として形になると、

執着が生まれるのでしょうが、

その一方で、愛着や親しみも生まれるわけです。


そこから、各時代の人々の心を満たすべく、

仏像や仏画が作られてきました。



仏教では、夜空に浮かぶ「月」を「仏の教えの本質」に例え、

仏像、仏画やお経などは、その「月」を指す「指」と見なされております。




仙厓義梵という江戸時代の禅僧が描いた、

「指月布袋画讃」という絵です。


「を月様幾ツ、十三、七ツ」と布袋さんが月を指さしています。

※「を月様幾ツ、十三、七ツ」=「お月様は十三夜の七つ時(四時)の月でまだ若い」=「もう月が出ているよ」


でも、その横にいる子共は、お月様を見るのではなく、

布袋さんの指している指にばかり目をやり、手を伸ばしております。


見当違いのものばかり求めて、本質に目もくれない。


仏像や仏画を拝み、

お経を覚えて、唱えて得意顔。


我が身を振り返ると、仙厓和尚のため息が聞こえてくるようです。



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