
和尚の雄道です、こんにちは。
「お墓参りについてなんかない?」
というリクエストを頂きましたので、
調子に乗って、
少し綴ってみようと思います。
よく聞かれるのは、
「お墓参りって意味あるの?」
という質問です。
皆さんはどう思われます?
似たようなことで、禅宗を開いたとされる、達磨(だるま)さんが、
身も蓋もないことを言っておられます。
古代中国の梁という国の武帝(ぶてい)という皇帝が達磨さんに、
「私は多くの寺を建て、多くの僧侶に出家の許可を与えた。
さてさて、この偉業を成した私にはどんな良いことがあるだろうか?」
と尋ねます。
皆さんならなんて答えます?
時の最高権力者が、明らかに自分を褒めて欲しそうに言ってきているわけです。
「武帝の兄貴、凄ぇや!」
とか、
「こりゃ間違いなく、天国行きですぜ!」
などと、媚びる我が身を想像するのは実にたやすいことですが、
しかし、そこは達磨さん。
私とは、ひと味もふた味も違います。
「無功徳」 = 「意味ねえよ!」
と一言です。
「そんな言い方ないでしょ!」
と同じ僧侶の私でも思わず言ってしまうような冷たい返答。
達磨さんだったらおそらく「お墓参りって意味あるの?」
という問いかけにも同じように答えられるのかもしれませんね。
お寺を何ヵ寺建てたのだから、 幸せになれる。天国に行ける。
お坊さんになる許可を何人も出したのだから、 長生きをする。良い事が起こる。
何だかお店で商品を買うみたいな考え方ですね。
こんなことを言って、みなさんのお墓参りの意欲を削いでしまうようであれば、
大変申し訳ないのですが、
「お墓参りって意味あるの?」
という問いには、
わたしは、「わかりません。」と答えます。
あまりの頼りなさに、皆さんの呆れ顔が頭に浮かんで、大変恐縮です。
去年、ネイチャー誌にて、アフリカ、ケニア沿海部のパンガヤサイディという洞窟遺跡で
78000年前の埋葬された子供の骨が見つかりました。
人類ではおそらく最古であろうといわれているようですが、
7万八千年前ですよ、その時から墓があったんです。
日本でも遺跡から、骨が出土し、近くに植物の種などの化石が発見され、死者にお花をお供えした形跡が全国的に発見されております。
何万何千という歴史の中で育まれた人間の習性を、今更そのルーツを科学的に探るのは、
私には荷が重すぎますので、学者さん方にお任せ申し上げます。
ただ、敢えていうなら、
やるべきだと思ったから遺体を埋葬した。
やるべきだと思ったから墓の管理をした。
というシンプルな動機だったのではないでしょうか?
自身の存在のルーツになる存在、
かつて共に過ごしたかけがえのない存在、
お世話になった存在、
微妙な関係だった存在、
腐れ縁ともいうべき存在、
との別れを迎え、
その時、その時、遺された人々は
それぞれにやるべきことをやった。
その結果として、墓を建て、墓を管理し、花を手向けた。
そんなふうに、
親を、
子を、
親族を、
先達を、
友人を、
後輩を
見送ってきた人類の歴史に、私は何とも言えない感動を覚えます。
そこには、人類の育て上げてきた心の豊かさがある様に感じるのです。
お参り中、
生前の感謝を伝えるにしても、
過去を詫びるにしても、
愚痴を聞いてもらうにしても、
弱音を吐き出すにしても、
生前の文句を言うにしても、
どんなことをしても、
墓に参り、掃除し、手を合わせ、頭を垂れる人間の姿は
人として豊かとしか言いようがない。
私も色々なお宅のお墓にお参りする機会が多いので、
一緒に手を合わせ、お墓参りする際には、
そんなことを考えております。
さて、まだまだ暑い夏が続くみたいですね。
お互いに熱中症に注意いたしましょう。

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