「さすらい」
作詞・作曲 奥田民生
さすらおう この世界中を
ころがり続けてうたうよ 旅路の歌を
まわりはさすらわぬ人ばっか 少し気になった
風の先の終わりを見ていたらこうなった
雲の形を まにうけてしまった
さすらいの 道の途中で
会いたくなったらうたうよ 昔の歌を
人影見あたらぬ 終列車 一人飛び乗った
海の波の続きを見ていたらこうなった
胸のすきまに 入り込まれてしまった
誰のための 道しるべなんだった
それを もしも 無視したらどうなった
さすらいもしないで このまま死なねえぞ
さすらおう
住職の雄道です、こんにちは。
1998年2月5日に発売された、奥田 民生 (おくだ たみお) さんの楽曲、「さすらい」です。
当時は、CD1枚1,000円ナリを一大決心で買って、繰り返し聴いておりました。
24年経った今では、ネット環境さえあれば、いつでも簡単に視聴できるのは、
便利にはなったのだけど、一方で、ありがたみが減ってしまった様にも感じております。
「さすらう」というのは、その辺をブラブラすることではなく、
目的をもって、または目的に向かって進んでいるのだけど、中々目的地が見出せない、たどり着けないこと。
「風の先の終わりを見ていたらこうなった」
風の先の終わり、という見えないものをそれでも見ようとしてさすらっている。
「雲の形を まにうけてしまった」
雲の形に何かを見出して、その雲を目印に進んだら、雲はすぐに形が変わってしまい、
結局迷子になってしまった。
人生はよく旅に例えられますが、その割にゴールは決められておりません。
そもそも人生のゴールとは?
何の為に私たちは生きるのか?
答えが即座に出ないのなら、「さすらい」の中にいるのかもしれません。
私達禅宗という一派の僧侶は、「雲水」という修行僧時代を全員が過ごします。
大空を行く雲の様に、流れる水の様に、
「さすらう」ことが義務付けられております。
そんな私が思いますのは、ゴールなんて実は必要が無いのかもしれないということです。
確かなものが無いこの世界で、一度しかない人生を生きるのだから、下手にゴールに囚われるよりも、そのさすらいの生活を楽しむという発想も大事なのではないかと。
最近は、昔の歌をよく聞くようになりました。
以前聴いた時と、視聴後の印象が違っていることがあります。
そんな時には月日の経過を実感しますね。
あなたの青春の歌は何ですか?
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