住職の雄道です、こんにちは。
私が山梨に帰ってきて六年経ちました。
旧交のあった者とまた繋がったり、
距離が離れ、友人と疎遠になったり、
「初めまして」があり、
「さようなら」があり、
結婚をした者がいて、
離婚をした者がいる。
お葬儀で、祖母との思い出に涙を流すお孫さん。
その傍らでは、元気な幼子が元気にはしゃいでいる。
六年間、いやそれ以前からずっと繰り返されているこの現象を、
「無常」というのでしょう。
変わらないものなどなくて、常に変化の中にある。
いつも出会いと別れの真っ只中。
人間の細胞も脳細胞以外は、日々入れ変わっていて、
今の私は、六年前とでは、細胞的に違うものです。
だが一方で!
私の中身を振り返ると何にも変わっていない!
その精神年齢は相変わらず低い!
子どもの頃、大人になれば、勝手に内面は成熟すると思っていたのに、
蓋を開けたらそんなこともなく、
依然として高卒レベル。
どうなっているのか?
責任者出てこい!
しかし、そこで出てくる責任者は私自身何ですよね。。。
孔子先生は、
四十=不惑=迷うことが無くなる
と仰った。
変わる環境と、
変わらぬ中身。
神よ
変えることのできないものを
静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を
そして
変えられないものと
変えるべきものを区別する
賢さを与えて下さい
ラインホルド・ニーバーというアメリカの神学者の言葉です。
変えることの出来ない事実を受け入れる力、欲しいものです。
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