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結局は自分



和尚の雄道です、こんにちわ。


庭のキンモクセイが素晴らしい香りです。


みなさんは、大きな駅前などで、托鉢(たくはつ)の恰好をしたお坊さんが立っている姿を目にされたことがありますか?


実はその多くが、僧籍をもつ僧侶ではなく、夕方になると迎えの車に乗って帰っていくアルバイトであることがある様です。


どうやら聞くところによると、ちゃんと元締めがいて、一日で集まったお金の五割から四割くらいを報酬としてもらうとのことです。


色々考えつく人がいるんだなぁと思いますね。


まぁ、僧籍を持っていないという点でみれば、バイトの方は「偽物」のお坊さんということになるのでしょうかね?



昔、あるおばあさんがお客さんを迎えておもてなしをしている際、

旅の僧が家の軒先に立ちました。

おばあさんは、僧侶を家に上げ、食事を施し、それは丁寧にもてなし、僧侶はお経をあげて帰っていきました。

僧侶が帰った後で、客人がおばあさんに、

「随分手厚いおもてなしをされていたが、立派な和尚様だったのか?」

と問いますと、おばあさんは、

「とんでもないナマグサ坊主だったよ。」と吐き捨てる様に返事をします。

「じゃあ、なぜあんな丁重にもてなしたんだ?」と聞くと、

「あれ自身はどうしようもないクソ坊主でも、唱えたお経のありがたさだけは確かじゃ。」と答えた。

という話があります。


坊さんが立派であろうと、ナマグサだろうと、おばあさんの信心は揺るぎはしなかった。


他人ではなく、どこまで行っても結局は自分がどう捉え、何をするか?どう生きるか?


周りにばかり目がいって、自身に目が行き届かないと忘れてしまいがちなことです。


おばあさんの様な体の真ん中に一本芯の通った生き方に、私は憧れます。



さて、まもなく衣替え、寒くなっていきますよ。

お体にお気を付けください。




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