住職の雄道です、こんにちは。
過去お世話になった修行道場で、何度か食事当番の役目を頂いたことがありました。
以前、そのお話を出版関係のお仕事をされている方としておりましたら、
「精進料理を今度特集したいと思っているんです。詳しく教えてもらえます?」
とのことでした。
まず初めに、修行道場で食事の現場では、「生ゴミ」という考え方を捨てさせられます。
仏様に上がったお供え物を預かり、修行僧皆で分け合うわけですから、
とにかく何よりも無駄を出さないことが徹底されております。
せっかく頂いたお布施を「ゴミ」に変えることは許されません。
一食で、二百人分くらいの食事を調えますが、
洗い物の際、残ったお米や野菜の切れはしが、排水溝へと流れてしまうことがありますよね。
それを防ぐためにシンクにザルを取り付け、固形物が流れ去るのを防ぎます。
そして食事の終わるたびに、そのザルに溜まったものを桶にまとめ、冷凍庫で保管しておきます。
三か月ほどで、その桶に、ご飯粒や野菜の欠片等がいっぱいに溜まりますので、
今度は、それをお湯でグツグツと煮立ててお粥として食べるのですが、
半ば傷んでいて、何とも言い難い独特の臭いを発しますので、
そこに昆布の佃煮を入れて味を整え、雲水二百人前の一食分として提供します。
「ゴミ」にして捨てることなく、手を加え、栄養として頂く。
本来は流れさってしまったであろう食物とのご縁を結び直し、
改めて一回の食事にするわけですから、誠にありがたいものではありますが、
残念ながら、耳障りの悪いこの「ザル粥」と呼ばれるお粥のお話は、
出版関係のお方の好みには合わなかったようで
お肉を使わなかったり、ニラやネギなどを使わない料理の話を聞きたかったようでした。
そういった食事を精進料理と呼ぶのは事実なのでしょうが、
焦点はそこではなくて、もう少し内面に向かっております。
仏様に上がった食物を少しでも無駄にせずに身体におさめ、
そのエネルギーを仏に代わりこの世でどう生かしていくのか?
その部分にスポットを当てるのが、本来的な意味であるかと思っているのですが、
中々伝わらないものですね。
「精進料理というのは、おしゃれな野菜料理の事では無い。」
今日はこれだけでも心に留めていただければありがたいです。
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