こんにちは、若和尚の雄道です。
今年も、気づけば一月が過ぎております。
本当に、早いものです。
明日は節分。
節分と言えば、豆まきでしょう。
「魔の眼を射る」ということから、炒った豆を「福豆」というようですね。
「鬼は外。福は内」と言いながら、家じゅうに豆をまき、
その後、年の数だけ食べる、
というのが、一般的な流れでしょうか?
ところが、子供の頃から、我が家では、
「鬼も内、福も内」
と言いながら、豆をまく様に教わりました。
周囲に確認しても、他に
「鬼も内、福も内」
というご家庭は確認できなかったので、不思議に思ったものです。
しかし、改めて考えてみますと、そこには軽んじられない教えが。
そもそも、「福」や「鬼」で表す、「良い事」や「悪い事」というのは、分かり易くそれぞれに訪れるものなのでしょうか?
そうではなく、「良い」「悪い」という様々なご縁が複雑に交じり合って我々の所にやってくるのが、人生の道行きだとしたら、「良い事」だけを受け取ろうとするのは、実に難しそうですよね。
念仏詩人の浅田正作さんに「節分」という詩があります。
福はうち 鬼はそと
待ってください 待ってください
その二人は
絶対別れられないのです
その豆は
福だけを欲しがる この私に投げてください
その時は「悪い事」と捉えても、後に「良い事」に感じられる様になった、
ということは、その逆も含めて、ご経験ありませんか?
どれが「福」で、どれが「鬼」かなんて結局判断するのは困難でしょう。
であれば、初めから選り好みは止めてしまって、
「鬼も内、福も内」、「雨降らば降れ、風吹かば吹け。」
の心意気で、春を迎えたいものですよね。
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