謹啓 新型コロナウィルスの蔓延、いよいよ長期化の観を呈し、憂いの至りに存じ上げます。今日こうして、経済面ばかりでなく、あらゆる分野でグローバル化が進み、国境はあっても、実際はなきがごとき状況になりますと、ウィルスの拡散と情報の拡散とは、その質量を同じくしているのではないかとさえ、感じられてなりません。一日も早い、的確で効果的な治療法の確立を願うばかりであります。
今年の大般若祈祷会、住職と若住職との内献でありましたが、何をおいてもまずは、檀中の皆様、関係者各位の皆々様の身体堅固を祈念せずにはおられませんでした。
さて、大般若札と共に吉例で毎年お送り申し上げております、小型で木製の「雨宝童子」身替り札。当寺の山号に「雨宝」の二文字を戴くことから、まず「お宝(福禄寿康)が雨のように降る、仏法僧の三宝が周辺に満ち満ちて身心ともに安らかで豊かなこと」という「雨宝」のもともとの意味合いに加え、平安時代の両部神道(弘法大師流の金胎両部の仏菩薩と、日本固有の神々との混淆による神道説)の進展によって醸成せられた、お伊勢さま「天照大神」の化身としての「雨宝童子」。これら二者の意義を一つに合して、泉龍寺の「雨宝童子」身替り札はできております。江戸期に入ると、お伊勢さんにまいるとならば、ちょうどその表鬼門の朝熊山(あさまのおやま)にも参拝の足を延ばすという、いわば巡拝のコースが成立していて、「お伊勢参らば朝熊(あさま)を駆けよ、朝熊駆けねば片参り」と巷間言われていたようで、平安時代に造られた、身の丈一メーター余りの「雨宝童子」のご尊像がその朝熊山金剛證寺におまつりされております。
こうして、檀中各家の家内安全、諸縁吉祥を祈念申し上げ、毎年恒例のお札を無事、お届けできますこと、住持人としてこの上ない喜びであります。
末筆乍ら改めて皆様の無事安泰を念じあげ、まずは右、書中ご挨拶まで 謹言
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