住職の雄道です、こんにちは。
私が以前お世話になっていた修行道場では、
この時期、神奈川県三浦半島へと、数人で徒党を組んで托鉢にお邪魔しておりました。
修行中は市街地へと出て、托鉢(たくはつ)というものをいたします。
※托鉢:僧が修行のため、鉢(はち)を持って、家の前に立ち、経文を唱えて米や金銭の施しを受けて回ること。
しかし、「三浦大根」というブランドがあることからも分かる様に、三浦は大根の一大産地でして、毎年一月に伺うのは、大根をいただく事だけを目的としており、「大根托鉢」と呼ばれます。
寒空の下、軽トラック先導の後から、托鉢の出で立ちで大きな笠をかぶり、「ホー」という大きな声を出しながら、指示されたお宅にお邪魔し、玄関や軒先にご用意いただいている大根を頂戴し、そのお心に対してお経を唱え、分けていただいた大根を抱え、トラックまで走り戻り、荷台に積む。
雲水は皆、先導の軽トラに置いて行かれまいと、必死でくらいついていきます。
もし置いていかれ、迷子になろうものなら、周りに迷惑が掛かる上に、先輩達から大𠮟責ものですから、大根を巡り、若き僧侶達が、血眼で走り回るのが恒例行事となっておりました。
私がお邪魔した中で、思い出深かったのは、修行二年目の事。
その日は風の特に強い日でした。
托鉢が始まり、同行した皆「ホー」という大声を張り上げて、大根を担ぎながら小脇に抱え、全身にまとい、それでも順調に軽トラに大根が積み上がっていきます。
体は温まり、一同汗びっしょりでおりました所、
「ご苦労さん!少し休んでいきなよ!」というお声を掛けて下さる方がおられ、そのお宅の軒先で休憩を取らせていただく運びとなりました。
ここでお茶椀と急須が出てくれば、「一般的な休憩」となるのですが、あいにく出てきたのは、日本酒の一升瓶とお茶碗だけでした。
「さあ、景気づけに空けていきなよ!」
と満面の笑みで迎えて下さるご主人の言葉。
サァーっと自分の血の気が引いていくのが分かりました。
その場には四人。
しかも、大根托鉢はまだ終っておらず、予定外の休憩ですから、
当然時間は押しております。
つまり時間がないのです。
茶碗に並々と注いで一杯、二杯と空けていく、
瞬時に腹のあたりにカッカと熱を感じます。
修行道場では口にしない「お酒」。
汗びっしょりで水分を欲する体に怒涛の勢いで流れ込んできます。
吸収が早い早い。
三人共、すぐにべろべろです。
大体何分で一升瓶を空けたのでしょう?
五分は掛かっていないと思います。
最後の一杯を飲み干し、酔いの息ながらも托鉢に戻る準備を始めたのですが、そこで私たちは、己の犯した過ちに気づきます。
おもてなし下さったご主人への配慮が足りなかったのです。
早すぎた!
とにかく空けるのが早すぎた!
自身が出したお酒が、ものの五分もしないで空になったら、
おもてなしする側の方はどの様に感じられるでしょう?
「お酒足りなかったのかな?」
まさにご主人は、その様に判断されました。
「母ちゃん、お酒お代わり持ってきてあげて!!!」
瞬間、一同天を仰ぎます。
満面の笑みで一升瓶を抱えて奥から出て来られる奥様。
曇りなき眼で、にこやかにお酌を勧めて下さるご主人。
そのお気持ちを無下にすることなど、誰に出来るでしょう?
瞬時に自分達のなすべき事を察し、
湧き上がる雑念を払い、
覚悟を決めた者達の視線が交差し、頷き合います。
「吞むのだ。」
雲水達の心が一つとなる時です。
下腹に力を入れ、日本酒を飲み干し。
おもてなしいただいたご夫婦にお礼を申し上げ、
力任せに大根を担ぎ、
声量の調節が狂った声でお経を挙げながら、
今持っている大根が、一本なのか、二本なのか?
軽トラが停まっているのか、動いているのか?
酔っ払って電柱に向かいお礼のお経を唱える仲間の手を引き、
それでも走ることを止めない。
いささか修行道場が想定している仏道修行とは異なるものの、
まぁ私なりに一生懸命にやっていたんでしょうね。
一月、初心忘れず、今年も歩んで参ります。
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