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修行の一風景



若和尚の雄道です、こんにちは。


「最近ブログの内容が、固いよね。」

という忠言が妻よりありましたので、今回はゆるく。





私がいた修行道場では、一日のスケジュールがしっかりと決まっていた。


起床時間から始まって、坐禅、食事、掃除、入浴、就寝、全てが隙間無く決められており、

それに合わせて、雲水は日々を送る。


自分の好きな時に、好きなことをする自由を修行僧にはない。


その当時、修行二年目の私は、その寺で法要の進行役の一端を任されていた。


このお寺の法要は、二百人近くの修行僧が集まり、厳粛に行われる。


法要の進行役を担う私がしくじれば、法要が止まり、その失敗は実に目立つ。


結果、先輩からは叱られ、後輩からは冷たい眼で見られ、同輩からは憐みの眼でみられる。


そもそも、自分に与えられた役割はしっかり果たしたいものだ。


失敗は許されない。


翌日の法要の準備に唯々追われる日々だった。


ある大きな法要の前日。

その日は、いつもより準備に時間が掛かってしまった。


就寝時間は、九時三十分。


現在九時十五分。


まだ風呂に入っていない。


季節は真冬。

氷点下の世界。


少しでも体温を上げて眠りに就きたい。


明日は、二時半起き。

眠りたい。

でも寒い。


「いや、やっぱり風呂に入りたい。」


覚悟を決め、浴室を目指す。


私が寝る法堂 (はっとう) という場所から、浴室へは、二百階段という長い階段がある。


静かな境内、足音を立てない様に注意深く駆け降りる。


やっとの思いで風呂場に着いた時は、九時二十分。


急いで着物を脱ぎ、渾身の速さで身体を洗い、温かい浴槽へ。


「ああ…」

風呂は素晴らしい。


北陸にあるこの寺の冬は厳しい。


一日の中で、朝のお粥と、夜の入浴しか温まる瞬間がない。

それゆえ、修行僧が傾ける風呂への情熱は、半端では無い。


さて、ここからだ。


就寝時間は、九時半。

その時間を過ぎて、上の者に姿を見られたら、どの様な理由があろうと一切考慮されず、

規則違反に問われる。


どんな目の合うことか。。。


身体を拭き、衣を着て、浴場を出る時には、九時二十五分を回っていた。


降りてきた二百階段を上らなければ。

いまさらだが、なんて階段が多いお寺なんだろうか。


やや息を切らしながら必死に上っていく。


百二十段ほど上っただろうか、

不意に心臓が波立つ。


誰かいる。


あちらもこちらに気づいたようで、合掌し一礼をしてくる。


後輩だ。


この修行道場では、上下関係が徹底しており、

後輩は、先輩とすれ違う時は、合掌して頭を下げながら見送る様に指導を受ける。


助かった。


こちらも合掌一礼して通り過ぎる。


間もなくゴールだ。

よし、これなら間に合う。


不意に違和感を覚える。


後輩?


いや、この場所に後輩がいるはずない。

後輩達はこの就寝時間ギリギリに、自由な行動を許されていない。


なぜ後輩が?

脱走か?


現に、このお寺での生活が厳しく逃げ出す者は年間何人かいる。


振り返ってみる。


いない。。。


ほんの一瞬で、視界の届かない所へ?


???


急いでいるにもかかわらず、立ち止まる。


???。。。


背筋に冷たいものが走る。


はぁぁぁぁぁ!!!


気づいたら今日一番の速力で階段を駆け上がっていた。。。






さて、人間生きていると、不思議な事ってありますよね?

今考えてみても、あれは何だったのか?


そういうことって皆さんにもありませんか?




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