若和尚の雄道です、こんにちは。
修行中、坐禅の時間でのお話しです。
折しも、年に六回行われる接心(せっしん)の5日目だったか、6日目だったか。
※禅宗のお寺では、日常的に坐禅をしております。しかし、日頃の一、二時間の坐禅だけでは時間的には不十分です。そこで、托鉢や野外での作業、お檀家さんへのお経をお休みし、睡眠まで削って、一週間、朝から晩まで、ひたすら坐禅に打ち込む期間を設けます。その期間を接心 (せっしん) といいます。
接心中、修行道場は一種独特の緊張感に包まれる。
接心が始まる前日の夜、一同の前で、修行道場の規則が読み上げられ、その内容に絶対に反しない旨の確認を皆で行う。
その中に、「坐禅中に動いてはいけない」という決まりがある。
もし坐禅のさなかに動こうものなら、何度となく警策という木の板で、したたかに打たれる。
本来の警策とは、文殊菩薩の代わりに、坐禅をする者を励ます目的で用いられる。
しかし決まりを破ってしまった者には、罰という形で用いられるのだ。
坐禅の始まりを知らせる鐘の音がなり、坐禅堂は静寂に包まれる。
坐禅中は呼吸に集中していく。
遠くで、車のクラクションが、虫の声が、風の音が、様々な情報が耳に入ってくる。
入ってきた音を右から左へ聞き流し、あくまでも呼吸に意識を集めていくようにつとめる。
しかし、時として、音があまりに自分の近くでしている場合。
私の様な未熟者は、呼吸に乱れが生じるのだ。
それは、私が坐っている背後から近づいてきているようだった。
ガサガサガサガサガサガサ。。。
歩みを止めることなく、確実にこちらとの距離を詰めてきている。
不吉な予感。
「ヤツだ。」
私にはこの時点ですでに犯人は分かっている。
全身から嫌な汗がドッと滲んでくる。
足音が消えた。
もちろんいなくなったのではない。
坐っている座布団の上に侵入したのだ。
坐禅が終わるまで、このままやり過ごせるだろうか?
もはや呼吸にどころではない。
どうか体に登ってきませんように、ただただ祈ることしか私には出来ない。
しかし、私の祈りをあざ笑うかのように、また足音が、しかも感触が届く程の近さで。
ああ、ついに私の衣の上まで侵入してきたのだ。
お尻を上ってくる感触が伝わってくる。
9割方見当がついていたしていた犯人が、100パーセントに。
ムカデ。
しかも大きい。。。
思わず天を仰ぎたくなりるが、坐禅中は動けず。
幼い頃に初めてムカデに噛まれてこの方、噛まれたことはない。
初めて噛まれた時の衝撃が、常に私のトラウマとしてこびり付いている。
靴を履く時、布団に入る時、物陰を探る時。
常に「ヤツ」がいるかもしれないと意識しながら、生活をしてきた。
ちなみに、私はゴキブリなら手でも掴める。
好きではないが、どうという事はない。
だが、ムカデよ、お前は駄目だ。
すでに「ヤツ」はもう背中を登ってきている。
心拍数がグングン上昇し、手汗が止まらない。
袖先や襟元から、衣類の中に侵入されることだけは避けなければ。
季節は七月。
梅雨も明け、蒸し暑い気候の中である。
衣の中にはムカデの好きなジメジメした環境が広がっている。
もし侵入されたら。。。
是が非でもそれだけは避けなければならない。
ただし、敵は「ヤツ」だけではない。
坐禅堂の管理をし、堂内を巡回して警策の役にあたっている者にも、動きを感知されてはいけない。
「ヤツ」の侵入を許し、その上警策を食くらってしまったら、肩を打たれる一方で、その毒の痛みにも耐え続けなければなければならない。その上、噛まれるのは一か所には収まらないだろう。
冗談じゃないぞ。
慎重に、両の袖口からの侵入を防ぐべく、静かに脇を締めていく。
続いて、首を後ろ襟にぴったりと寄せる。
考えられる侵入経路を塞がなければ。
しかも、ゆっくりと、ゆっくりと。
「ヤツ」にも、他の修行僧にも感づかれないように。
全ては、闇の中へと。。。
幸いにして「ヤツ」は、まっすぐに首を伝って頭の方へ登ってきている。
幸い?
どこがだ?
自分の大嫌いな存在が、地肌を伝って自分の頭を上って来ている。
身の毛もよだつようなチクチクとした感覚が徐々に頭頂部へ。
大量の汗と同時に嫌悪感からくる怖気が止まらない。
不意に、歩みが止まる。
「ヤツ」も人間と同じように高いところに登って景色を味わったりするのだろうか?
ここへ来て、のんきな事を考えてしまう我が身が、実に煩わしい。
両手 (脚?) をガリガリガリガリ動かしている。
不意にピリッ、という刺激。
噛まれたのか?
いや、激痛が来ない。
???
またピリッという刺激。
!!!
喰っている!
私の頭を喰っている!
思えば、接心の一週間、規則でお風呂に入ることも、頭を剃ることも出来ない。
だが、この七月の暑さ。
下着、襦袢、着物、衣を四枚を着て密室にいる者達にとってあまりに酷な話である。
実は、人目につかない所での水浴びは許されている。
しかし、夏日に四枚着ているのだ。
多少水浴びしたところでそれが何だというのか?
一時間後には元通り汗びっしょりである。
お世辞にも、清潔ではない。
いや、絶対的に不潔だ。
そして、どうやら雑食の「ヤツ」はそんな私の頭を恰好の「餌場」とみなしたようなのだ。
だが、ありがたくも、その恩恵として、毒を注ぎこまれることなく、定期的な弱刺激のみで許されている。
一安心である。
私は、ムカデを頭に頂きながらも、ここでようやく呼吸を整えることが出来た。
そして、一つの疑念が浮かぶ。
「ヤツ」はどこまで食べ続けるのだろうか。
10cm以上ある「ヤツ」は、どのくらいで満足するのだろうか?
今は、私のフケやら薄皮やらを食べているのだろう。
だが、食べ進めれば当然私の頭の肉に届くことになる。
今のところ、痛みはないが、穴をあけられてはたまらない。
その時、坐禅を終わりを告げる鐘が坐禅堂内に鳴り響いた。
瞬間。
自分でもあきれるほどのスピードで、「ヤツ」を振り払う。
前方に、思っていたよりも大きな細い影がすっ飛んでいく。
随分驚いたのだろう、夢中で逃げていく。
かじられた痕は、薄っすらと血が滲み、「ヤツ」の顎に沿った形のクレーターの様になっていた。
以上は、私の修行時代の思い出です。
改めて、文章にしてみると、ばかばかしい限りですね。
しかし、当時の私は、それでも一生懸命でした。
共に修行する仲間たちと、手を取り合って、ただひたすらに、毎日励んでおりました。
その時の心境、これからも忘れたくないものです。
Comments