top of page

一年かぁ~。。。






住職の雄道です、こんにちは。 さてはや、泉龍寺住職の任を正式に拝命して、一年が経とうとしております。 思い返しますと、

去年の十一月、只々あれよあれよと慌ただしくく過ごす中で、晋山式を迎え、

「これから頑張ります!」

と志を新たにしたわけですが、

翌月十二月、舌の根も乾かぬ内に、まんまとコロナに罹り、

全てのお寺の法務を先代任せとする運びになりました。


「何のために代替わりしたのか分からん。」

という先代のごもっともな御指摘をうやうやしく頂戴し、

「ご迷惑おかけいたしました。」

と、いつも以上に ペコペコしながら、住職としての職務に戻った訳ですが、

まぁ、控えめに言っても、出だしから大いにつまづいたわけです。


それから今日までのことを考えると、本当にあっという間でしたが、改めて振り返ってみると、日々多くの人に迷惑をお掛けしてきた様に思います。


それと同時に、様々な方との濃密な時間を共有してきました。


私にとって言えば、住職としての一番の悦びは、お檀家さん、信者さんを始め、お寺に関係した方や、お寺に訪れる方と共に時間を過ごし、交流を持つことです。


この一年だけでも、多くの方との

出逢いがありました。


本当に多くの悦びがありました。


多くの方の生き様に触れ、学び、励まされてきました


でもやはり、きれい事ばかりではない。


出逢いがあれば、別れがあり、

人と交わりを持つことは、

嬉しい楽しいばかりではありません。


多くの悲しくつらい別れもありました。


今現在も、不意な、つらい別れの中にあります。


住職というのは役職であって、

私だって一人の人間。


嬉しければ笑い、

悲ければ涙も出ます。


先代もそうでしたが、私はお檀家さんや信者さんとの距離が近い過ぎるのかもしれません。


仲の良い分だけ、

交流の濃密な分だけ、その別れはつらいです。


けど、お葬儀の導き手である導師が、

悲しんでいる場合じゃない、

涙を流している場合ではない。


その立場として役割を果たす、その事に集中するべきでしょう。


でも不思議なもので、

「こんな気持ちになるならば、出会わなければよかった、仲良くならなければよかった。」

と思うことはありません。


やはり、お寺に親しく接して下さる方はいつでも大歓迎で、

気付けば、かけがえない存在になっております。


私の業(ごう)とでもいうのか、何というのか。

「そういう生き方の坊さんなんだなぁ。」

と受け入れるしかないのでしょう。



人生には、どうしたって納得のいかない別れがありますね。


「また会える」という事は、当たり前ではないんですね。

最近特に身に染みております。







Comments


bottom of page