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フクロウ像三体安置​


 この度、有縁のお方からお手彫りのフクロウ三体が届けられました。 フクロウには、洋の東西を問わず、特別な存在として扱われてきた歴史があります。例えば、ギリシアでは智慧の神の「アテネ」、ローマでは名前が変わって「ミネルヴァ」、フクロウはその忠実な従者として、文字通り智慧、知識、芸術の象徴とされてきました。  日本でも、「福が来る」として「福来郎」。「苦労せず」として「不苦労」。「福が籠る」として「福籠」。「福(さいわ)いに老いる」として「福老」など、すこぶる付きの縁起の良さで尊ばれてきた様です。それ以外でも、首が360度回ることより『首がまわる⦅借金などで「首がまわらない」といいますよね。⦆』からと金運や商売繁盛のご利益があるといわれたり、さらにはまた、夜行性のゆえに「暗闇の中でも、見通しがきくことから、ついては世間に明るい」と受け取られて考えられて、「森の賢者」ともしばしばいわれますが、ちなみに「北の杜(もり)」と書く我が北杜市では特に「市の鳥」として認証されておりますこと皆さんご存知でいらっしゃいますか。  さて、仏教で「無明(むみょう)」という言葉があります。「ひかりが無い、真理に暗い」という意味ですが、言い換えると「迷いの根底」ということになります。その「無明」から生じる煩悩によって全ての苦しみが始まると、考えております。その様な「暗闇」を、智慧の光でとことん駆逐してしまうことは出来ないものかと、誰もが考えがちですが、暗闇の中を平気で飛び交うフクロウには、もともと「闇」などありはしないのでしょう。私共を真の光の世界へと誘ってくれる導き手として相応しいそのフクロウを、当山に新たに三羽もお迎えすることを得たのですから、日頃智慧の乏しさから、あれこれ生き悩むことの多い私にとっては、この上ない喜びです。  庫裏玄関内の上方に安置してありますので、ご来山の際に是非ご注目頂ければ幸いに存じます。



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