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ゴールでなくてスタートに




和尚の雄道です、こんにちは。


秋も深まり、朝夕はだいぶ冷え込むようになりました。


食欲の秋と申しますが、

私は、小さい頃から今に至るまで、たくさん食べる質で、365日休むことなく、

食い意地が張っております。

おかげさまで体ばかり大きく育ちました。


ところで話はとびますが、最近めっきり減った物の一つに葬式まんじゅうがありますね。

幼い頃は、お葬儀の度に、たくさんの大きなおまんじゅうを食べられるのが嬉しかったのを覚えております。

今考えると不謹慎ですが、冠婚葬祭の区別のつく以前の幼少の話、お見逃し下さい。


いくつの時のであったか定かではありませんが、

ある日、外で遊び、帰ってくると、父と母は来客の準備をしておりました。


机の上には、お茶の支度として、菓子器に大きな丸い酒まんじゅう(アルコールは含んでおりません)が2個鎮座しております。


「あのまんじゅう、食べていい?」

「お客さんのだから駄目。」


しかしそこは子供、駄目といわれると一層そのまんじゅうは美味しそうに輝いて見えるものです。


雄道少年は一計を案じます。


流石に2個が1個に減るのはまずい、それは分かる。

では、外見だけ何とか取り作れないものか?


みなぎる食欲に負けた少年Yは、まんじゅうの外皮を残して、内側を全て繰りぬくという大胆な犯行に及びます。


その結果、外から見るとまんじゅう。ひっくり返すと、中はすっからかんの伽藍洞まんじゅうが一つ出来上がりました。


しかし、ここで問題発生。

二つのまんじゅうの高さが合わなくなってしまった。

少年は調子に乗って食べ過ぎたのです。


なくなってしまったものは戻らない。

どうしようか?

よし、どちらも同じものにしてしまおう。


愚かさに愚かさを重ね、伽藍洞まんじゅうが二つ出来ました。

そうやってお腹を満たし、大満足の私は、現場を後にしたのです。


どのくらい時間が経ったでしょう。


母親の叫び声と、その後の怒号に思い当たるふしだらけの私は、逃亡を図るも、あえなく御用となり。

詳しい取り調べを受けるまでもなく、押し入れに閉じ込められる刑に処されました。


運良くお客さんは、おまんじゅうには手を付けられなかった様です。

今更ですが、おっかないことをしたものです。



さて、そんな私が晋山式を迎えます。


下手に思い出を振り返ったばかりに、

「こんな人間が、行ってよいのだろうか?」

と疑問がにわかに沸き上がってきましたが、


あくまでも、今月五日、六日の晋山式を「ゴール」と考えるのではなく、

「スタート」と受け止め、これからの日々の中で、もう少しましな人間になって行く努力をしていこうと思います。


欲に囚われすぎず。

外見ばかり取り繕わず。

過ちは認め、反省する。


これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。


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