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すれ違いは当たり前





若方丈の雄道です、こんにちは。


日頃お寺におりますと、色々な人間模様に触れる機会がございます。


お葬儀、法事、お墓などを皮切りに、

個人的な部分に踏み込んだお話をさせていただくことも多いです。


家族親族一人一人、それぞれに考え方が異なる人間同士、

それでも一つの結論に到達しないといけないわけで、

お互いの価値観の擦り合わせに苦心するのは当然と言えば当然ですね。




以前、永代供養墓を見学させてもらいたいとのご要望の元、

最近古希を迎えられたというお母さんと娘さんお二人でお越しになられました。


お話を伺っていくと、お母さんはどうやら永代供養墓は必要なく、今日も渋々来たということでした。



母:「私にはお墓なんて贅沢なのよ。」

娘:「じゃあどうしたいのよ?」

母:「だから私のお骨は、細かく粉にして、お台所の排水溝に流してくれればいいのよ。」

娘:「まだ本気でそんなこと言ってるの?」

母:「排水溝って果ては海につながっているんでしょ?それなら海に撒くのと一緒よ。

   台所とも直通してるから、いつでも家に帰ってきて排水口からあなたたちのことを

   覗けるでしょ?」

娘:「やめてよそんなの!お母さんがシンクからこっち覗いて見てたら、

   ひたすら怖いだけよ!冗談じゃない、やめてよね!」

母:「こんなこと言うんですよ、和尚さん何とか言ってやって下さい。」

娘:「和尚さん、母を説得して下さい。」


お墓をご案内するはずが、思いもよらない展開を迎えましたのを覚えております。


さて、皆さんでしたら、どうなさいますかね?

こんな時、なんて答えられます?


私がこの様な時に常に心掛けているのは、

「~するべき」や「~しなければいけない」という言葉を使わないことです。


お母さんにも、娘さんにもそれぞれの生き方があり、

その生き方に対して、他人がとやかくいう筋合いは本来ない。


でも、会話をしていると、そんな当たり前のことをついつい忘れ、

気づけば、話を聞く立場の人間が、相手を説得する形になっていて、

後で申し訳ない気持ちになるのは、私だけでは無いはずです。


どなたかの相談を受ける時、第三者の出来ることってそんなに多くなくて、

話の交通整理をしたり、あくまでも自分の所感を述べる程度のことしかできません。


まぁ、実はそれによって、血が上った頭をクールダウンさせたり、

問題をシンプルに考える手がかりになるので、重要ではあるのですが。



さて、あれからあの親子はお越しになっておられません。


その時は、

「もう一度お家に戻られて、ゆっくり、何年でも時間をかけてお考え下さい。

急ぐ必要はないはずです。」

とご提案申し上げて親子をお見送りしました。


どのような決着をつけられたのか?

まだ、舌戦は繰り広げられているのか?


人間の生き方は多種多様

そんな当たり前を忘れぬ様に。




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