
和尚の雄道です、こんにちは。
小さい頃、我が家のうどんやお蕎麦を食べる時のつけダレは、
干しシイタケ出汁でした。
お葬儀や、法事の引き物として干しシイタケが多く用いられた為、
お寺に多く集まり、カツオ出汁やコンブ出汁ではなく、
シイタケ出汁ばかりが食卓に並んでおりました。
子供時分のことで、
「これは、カツオ出汁。これはコンブ出汁。これはシイタケ出汁。」
という違いが分ったわけではありません。
シイタケ出汁の証として、水で戻したシイタケが、必ずその料理に刻んで入っておりましたので、視覚的に即座に分かる。
ふやかして、刻まれた黒いシイタケは、そのヒダの部分が虫の足に見えて、何だかとても気持ちの悪い物に見えました。
また、口に入れると、なんだがムニャムニャと良く分からん触感。
一方で、父は昔から干しシイタケが好きでした。
「この世にこんな旨いものは無い」
とよく言っており、
「自分が好きなものは、他の人も好きに違いない」
という、悲しいすれ違いを頻繁に引き起こし、
私や姉のお椀には、毎回麺類が出る度に、大量の干しシイタケを盛ってくれました。良かれと思って。。。
姉と私は、食事の準備を手伝う様な振りをして、
隙あらば兄弟間でお互いのお椀にシイタケを押し付け合い、
気を抜くと自分のお椀にだけ、
大量のシイタケが盛られた状態で「いただきます」を迎える事態に。
実に熾烈な争いが繰り広げられておりました。
改めて申しますが、私は干し椎茸が大嫌いでした。
それが今ではどうでしょう。
シイタケ出汁は大好きです。
干しシイタケの煮物に舌鼓を打ち、
以前は臭いと感じていた椎茸のおつゆを飲み、
ほっこりと悦に入っております。
人間一人一人には、
好きなもの、嫌いなものが様々にあります。
しかし、意外とそんな好き嫌いというものはあてにならない様に思うのです。
それは人間関係でも似たところがあるのではないでしょうか?
嫌なイメージだったけど、話してみたら意外と楽しかった。
良さそうな人だったけど、話してみたら、残念な人だった。
その気持ちも、さらに時間が経ち、
年齢や経験による、価値観の変化からさらに変化していく。
どんどんと変わり、
さらにずっと変わり続けるから、
人生は味わい深く、面白いのでしょう。

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