
若和尚の雄道です、こんにちは。
日々生活を送っていると、様々なご縁を頂きますね。
素晴らしい人々と出会い、楽しい思い出を作ることもあります。
逆に、嫌な人と出会い、苦い思い出となることもある。
仏教では、そんな、会いたくない人と会わなければならない現実を
「怨憎会苦(おんぞうえく=恨みや憎しみに合わねばならない苦)」と呼び、
人生における大きな「苦しみ」の一つとして数えております。
人間には、「他者承認欲求」という「他人に認められたい」という強い欲がありますよね。
その欲望の現れ方は様々なのですが、その中に、
「相手より優位な関係で認められたい」という欲が強い人がいる。
(自分もそうなり得るという事を忘れてはいけませんけどもね。)
その様な方と対峙する時には、より強く「怨憎会苦」を感じる様に思います。
相手は、自身の事を自慢したり、大きく見せようとする、
或いは、私たちの事を、批判したり、見下したりしてくる、
といった対応をしてくるわけですから、こちらはあまり愉快に気持ちにはなりませんね。
ではお釈迦様は、そんな時どう対応すべしと言っているのでしょうか?
答えはシンプル、「相手にするな」です。
ある日、自分の家族が釈尊の弟子になり、それに激怒した異教徒の僧侶が、お釈迦様の所へ怒鳴り込んできて、罵詈雑言の限りを尽くして、捲くし立てたときの一節です。
ようやく悪口雑口が一通り収まってきたところで、初めて釈尊が口を開きます。
釈尊「あなたの処にお客さんが来ることがありますか?」
僧侶「もちろんだ」
釈尊「その時に、食事を出すことがありますか?
僧侶「そんなことはしょっちゅうだ。」
釈尊「では、その食事にお客さんが手を付けなかったら、その食事は誰の物になります
か?」
僧侶「再び私の物になるだろうよ。」
釈尊「今日あなたは私の前に、沢山の誹謗中傷を並べ立てたが、私はこれに手を付けない。
全てあなたがご自身でお持ち帰りいただくのがよろしかろう。」
さらに続けて、
釈尊「怒りをぶつけてくるものに、怒り返すのは悪い事と考えなければならない、一方で、
正しい念をもって己を鎮めるものは、よく己に克ち、他人にも勝てるであろう。」
これは、人からの「怒り」に対応する時の態度ではありますが、「相手より優位な関係で認められたい」という欲が強い人への対応としても頼りになる教えでしょう。
ところで、「他者承認欲求」と同時に「自己承認欲求」というものも人間は持っています。
「自己承認欲求」とは、「自分で自分を認めたい」という欲求。
つまりは、自らに自信を持つという事ですが、
これについてもお釈迦様が述べておられます。
己れこそ 己れの寄るべ
己れを措きて誰に寄る辺ぞ
よく鍛えし己れこそ
まこと得がたき寄る辺なり
自分自身こそ 自分のよりどころである
自分以外に一体誰に頼れるものがあろうか
よく訓練された自分自身こそが
本当に得がたいよりどころなのである
自分より優位に立とうとする相手との関係を生涯絶つ必要はないとは思います。
しかし、それにはそんな相手すらも許して包み込む位の自己研鑽をしていく必要があるのかもしれませんね。
もちろん、相手に対して対応できないことを悔やむ必要はありません。
とかく人間関係が厄介であることは、少なくとも2500年以上前のお釈迦様の時代から言われていることであり、その全てを円満に解決することは困難です。
手に余るご縁は、ひとまずやり過ごして、良きご縁にしっかり気持ちを向けていきたいものですよね。

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