若住職の雄道です、こんにちは。
もう気づけば、お田植えの季節がやってきましたね。
ご近所では、農作業の音が忙しく響き渡り。
額に汗されながら、作業を進めておられます。
以前、解剖学者の養老孟司(ようろうたけし)先生が講演会で、学生さんを前にしてこのような質問をされました。
「あなたにとって、田んぼとは何ですか?」
質問を向けられた学生さんは、
「稲を栽培し、お米を収穫する所です。」
との答え。
先生は、
『なるほど。
では、「田んぼはあなたの一部です。」
という僕の答えを理解できますか?』
と重ねて問われました。
学生さんの頭の上に大きな「?」の文字が。。
「田んぼで作られたお米を食べて吸収すると、我々の血となり、肉となるんですよね。
そんな稲自体は、地面の栄養や太陽の光などの様々な要素の影響のもとで育ちます。
それならば、田んぼに住むアメンボ、地中の栄養、川の水、その中の微生物などの命が溶け込んでいるのがお米ということが出来ます。
繰り返しますが、そのお米が我々のこの身体を作り上げるわけです。
田んぼで作られるお米というのは、将来の我々の一部である、ということがご理解いただけますか?
田んぼに住むアメンボも、地中の栄養も、川の水もみんな私たちの一部と言えるとおもいませんか?
どこからどこまでが自分で、どこからどこまでが田んぼで、どこからが自分ではないのか?自分なのか?言うことができるものなのでしょうか?
考えていけばいくほど、世界中が一つの生命として繋がってきてしまいませんか?
あなたは、自分というものがしっかりと存在していると思っているかもしれないが、本当にそうであると言い切れますか?」
以上が先生の説明の要旨となります。
「この世界と自分とは境目が無い。」
実は、そのまま我々禅宗の教えでもあるのですよね。
新しく水が張られ、規則正しく植えられた苗を通り抜けてくる風。
なんとすがすがしいことでしょう。
草花の豊かな八ヶ岳南麓の春。
今年も美しい。
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