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お寺という場の力



住職の雄道です、こんにちは。


ぐっと寒くなって、あたりはすっかり冬の風情になって参りましたね。



さて、泉龍寺は禅宗という一派に属しますが、

日常的に坐禅をしております。


お坊さんになる入門前は、

「しっかり坐禅をして立派なお坊さんになるぞ!」


その様に雄道青年は、志を立てて鼻息を荒げていたわけですが、

改めて考えてみると、少し見当違いだったのかもしれません。


坐禅とは、「万事を休息する。」

     「すべてをお休みする。」ことであるといわれます。


何かを手に入れたり、上を目指すといったものとは真逆の発想であるようです。


止めると死んでしまう「呼吸」を除いて、

他の全てを一旦手放してしまい、

呼吸だけに集中していく。



これはその坐禅の場である禅寺の役割も同じなのではないかと思います。


お寺は、背負っている荷物を降ろす場所です。


様々な思いを抱えられた方がお参りされます。

中にご案内して、お茶をお出しし、会話を楽しむ。


そんなごく日常的な営みでも、

場所がお寺という非日常空間であるだけで、

心がスッと軽くなることがあります。


これは、和尚の力ではなく、長年お寺と皆さんが培ってきた

「場の力」というものです。

言葉では何とも言いようがない、お寺を取り巻く空気です。


人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。 徳川家康



寒い冬ですが、それはお茶の美味しい季節。

どうぞお気軽にお越しになって、一息ついて行って下さい。





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