こんにちは、若和尚です。
今日は詩を一つ紹介させて頂きます。
「ある ある ある」
さわやかな
秋の朝
「タオル取ってちょうだい」
「おーい」と答える良人(おっと)がある
「ハーイ」という娘がある
歯をみがく
義歯の取り外し
かおを洗う
短いけれど
指のない
まるい
つよい手が
何でもしてくれる
断端に骨のない
やわらかい腕もある
何でもしてくれる
短い手もある
ある ある ある
みんなある
さわやかな
秋の朝
清々しい秋の朝、家族とのひと時が浮かびます。
これは、中村久子さん(1897年 - 1968年)という方の「ある ある ある」という詩です。
久子さんは三歳の時に、突発性脱疽(だっそ)という病気に罹り、両手両足を失いました。
この方の生涯は、私から見ると苦難の連続でした。
7歳の時に、お父さんを病気で亡くします。
お母さんは、生活の為、すぐに再婚されますが、久子さんは再婚先で、
義理の父、義理の兄弟たち、近所の人々から、厳しい待遇を受けます。
久子さんは義理の父から、
「お前には、飯を食わせる楽しみがない。」
「お前を世間の人に見られるのは恥ずかしい。」
といった言葉を投げつけられ、日々を過ごします。
それを傍で見て肩身の狭い思いをしていたお母さんは、久子さんが一人で生きていけるように、厳しくしつけました。
まさに血のにじむ努力の末、
自分の身の回りのことだけでなく、裁縫、洗濯、書き物も次第に出来るようになっていきます。
しかし、再婚先のお家の生活も厳しく、久子さんは、19歳の時に見世物小屋に売られます。
「だるま娘」という呼び込みの中、人々の前で裁縫や洗濯をして、自分の食い扶持を稼ぎました。
花も恥じらう19歳の女性が、どんな気持であったか、想像に余りあるものがあります。
41歳の時、アメリカから、日本にヘレンケラーさんが来日されます。
その折、久子さんはヘレンケラーさんにお会いするだけでなく、
わずかにある腕や口で縫ったお人形を贈る栄誉に恵まれました。
当日、久子さんは懸命に作った人形を渡します。
目の見えないヘレンケラーさんは、始めにお人形を撫でて、その後、久子さんの傍に寄り、全身を確かめました。そして、両手がないことを感じるとサッと顔色が変わり、足に義足をつけていることを確かめると、いきなり久子さんを抱きしめて涙を流されたとのことです。
そして「私より不幸な人、そして偉大な人。」という言葉を贈り、褒め称えました。
後に久子さんは、見世物を引退し、全国を講演でまわり、障がい者の為の活動に生涯を捧げました。
五体満足な私が、ともすると「あれがない」「これがない」と日々ないものねだりを繰り広げておりますが、
両手も両足もない久子さんが「ある ある ある」という詩をのこされていることは、我ながら、情けない限りです。
冒頭の詩を拝見しますと、徹底して「ある」ものに目がいっております。
自分に「ある」ものにしっかりと目がいった時、
その自分に「ある」ものの豊かさに感謝し、幸せを噛みしめられるのではないかと、
今この様な時期だからこそ、強く思うのです。
参考書籍:『こころの手足―中村久子自伝』 春秋社1999/11/20
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