
和尚の雄道です、こんにちは。
毎年実りの時期を迎えると、泉龍寺には、お檀家さんよりお米を頂戴いたします。
多くが「梨北米」という八ヶ岳南麓のブランド米ですが、
清らかで美味しい水、
そして昼と夜の気温差の高い風土が、
独特の粘りと、もっちりとした歯ごたえのある美味しい稲を育みます。
仏様のお下がりとして、我々も頂戴するわけですが、実に贅沢な話です。
さてこの時期、全国各地寺院では、「施食」という法要が執り行われます。
(因みに、泉龍寺では今年秋に行われる予定になっております。)
「施食」とは、「生きとし生ける、様々な存在に対しておもてなしをする法要」ですが、
私が修行でお世話になったお寺のある地域では、
お檀家さんお一人お一人が、実際にお米を二、三合ずつ紙の袋に入れて持ち寄り、
菩提寺に納めるという風習がありました。
そのようなお米が、ひと夏の間で、七石から八石もの量になるのですが、
(1000合=100升=10斗=1石)
全て修行道場に集められ、一年以上掛けて、修行僧が胃の中に納めます。
そんな莫大なお米。
暑い夏を超えて修行道場に集まってくる頃には、「コクゾウムシ」という小さいカブトムシの様な虫が大量に発生し、眼を凝すと、白いお米の中で、黒いポツポツが無数に蠢いているのがわかります。
大きな冷蔵庫があるわけでは無いので、
日を追うごとに、
コクゾウムシは爆発的に増え、
我々の食べるお米は食べられ、どんどん減っていきます。
いわば、コクゾウムシと修行僧の間で、
食料の奪い合いが繰り広げられるわけです。
まぁ、早い者勝ちですから、仕方ありませんね。
その闘いの結果、ちょうど今くらいの時期になると自然、修行僧が食べるのは、一年間掛けてコクゾウムシが食べ残したお米となるわけです。
この時期のお米は、研ぐために水につけても、ほどんど虫に食われておりスカスカで、浮き上がってきます。
その浮いてくるお米を洗い、カマドに薪をくべて米を炊くわけですが、どうしても炊き上がった米の中に、コクゾウムシの息絶えた姿が混じることがある。
食事当番が取り除くのだけど、数が多すぎて取り切れず、
食事のさなか、自分のお碗の中に、その亡骸を発見することがあります。
反応を示して、上の立場の先輩に、食事への虫の死骸混入が露呈すれば厄介なことになる。
その米を炊いた者をはじめ、自分も含めた、修行僧一同がそのような厄介事を望まない。
となると、行きつく答えは一つでしょう。
「何食わぬ顔で食べる。」
実にシンプルではありますが、あまり気持ちの良いものでもない。
そもそもが、米の外には、虫の排泄物、中には卵を無数に産み付けられているわけですから、現代人が日常的に口にしている一般的なお米とはだいぶ風味が異なります。
それに加えて、「コクゾウムシ」というスパイスが混ざる。
今改めて振り返ってみると、得難い体験でした。
美味しいとは言い難かったですが、ありがたい味だった。
当たり前の様にして口に運んでいる白いご飯が、
いかに大変な馳走であるか、
身に染みて体験させて頂きました。
さて、今年も暑くなってきましたね、お互いしっかり食べて乗り切りましょう。

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