
和尚の雄道です、こんにちは。
先日コンビニで、レジに並んでおりました時の事。
最近増えたセルフレジではなく、店員さんが対応される対人型のレジでした。
列の先頭は、年かさのおじいさん。
手先がおぼつかず、見えづらい小銭を一枚ずつ取り出しますと、
どうしても時間が掛かりますが、
その時も、支払いにかなりの時間が掛かっておりました。
しかし、対応されていた店員さんも手慣れたもので、
「あと十円玉4枚と一円玉3枚で~す。」
といった様に、実にほのぼのとした雰囲気。
しかしその後ろに並ぶ20代くらいのお兄さんは違った様で、
時間と共に、目に見えてイライラし、貧乏ゆすり、舌打ちを頻発。
そしてついに、我慢の限界を迎え、
「おい!遅えよ!いつまで待たせんだよ!」
と怒号が店内に響きわたりました。
奥から声を聞きつけ、「すみません、すみません」と言いながら、
もう一人店員さんが出て来られ、
一つレジを増やし、その場は事なきをえた次第です。
一部始終を拝見しておりまして、思うところがありました。
まず、小銭を探すおじいさんは、そのまま私の30年、40年後の姿ですよね。
お財布から代金をご苦労して出し、
「遅いぞ!」と、後ろから自身の年齢半分にも満たぬ若者からどやされる姿。
そこに、将来訪れるであろう私の老いた姿が重なってしまい、
とても他人事とも思えず、何とも言い難き気持ちとなりました。
次に、並んでいたお兄さん。
賛否でいえば、批判を受けやすい立場でしょう。
しかし、その場を収めたのは、そのお兄さんの一言であったのも確かで、
事実私にも早くレジの順番が回ってきて、その恩恵を受けたともいえます。
その伝え方には、いささか問題があった様に思うのですが、
同時にこのお兄さんにも、過去の私自身の姿が重なるのです。
若い内は、たやすく出来ていたことが、少しずつ、確実に出来なくなってくる。
視覚、聴覚、嗅覚、味覚を始めとした、
体の各部機能が衰える事をしみじみ実感した時、
人間は「老い」を感じる。
目の前のお年寄りが、自身の将来の姿であるとは、夢にも思わない。
それを「若さ」というのでしょう。
あのプンスカしていた若者も、必ずこれから先の人生のどこかで、
「老い」が身に染みる日がくるはずです。
今の私が、体力の衰えを感じ始めている様に。。
生まれ、成長し、人生のどこかの段階で、「成長」が「老化」へと切り替わり、
緩やかに、この世との別れの準備が整っていく。
真綿で首を締められる様に進んで行くその過程の中で、
ある人は「老い」から眼を背け、
ある人は「老い」と闘い、
ある人は「老い」に白旗を上げ、
ある人は「老い」を受け入れる。
それが長寿国で生きる人間の「定め」なのでしょう。
何はともあれ、
人に優しくありたいものですね。
Comments