top of page

理想と現実




           墨子


和尚の雄道です、こんにちは。


「墨子(ぼくし)」は中国の春秋戦国時代末期に登場した政治家です。


時は戦国、あの大きな中国という大陸に、いくつもの国が乱立し、日々戦争に明け暮れていた殺伐とした時代。


それぞれの国の王は、自国が少しでも強く、豊かになり、他国を出し抜くことに全力を尽くしておりました。


そのため

兵を動かす能力に、

内政に、

外交に、

様々な分野に長けた人材を全国から集めておりました。


ですから、才能に恵まれた人物は、王に自身を売り込み、立身出世のチャンスを掴んでおりました。


その様な人々が「諸子百家(しょしひゃっか)」と呼ばれ、

現代でもその名前が残っております。

孔子、孟子、孫子などが有名でしょうか。


その中の一人が、「墨子」です。


国同士が奪い合い、憎しみ合い、殺し合う中で、

「万人を公平に差別無く愛せよ」という教えを説きました。


博愛主義、平和主義ともいいましょうか?


これを聞いてどう思われますか?


例えば現代で、ロシア、ウクライナの両指導者に

「お互いに愛し合いましょう。」といって問題が解決するのでしょうか?


私には、どうしても綺麗ごとや、夢物語に聞こえます。


殺伐とした戦国の世の国王からすれば、

自国が亡べば、自らはもちろんの事、一族郎党殺され、

国民は奴隷となるわけです。

万人を公平に差別無く愛せよ」といわれても、

やはり我が身や家族を優先するものではないでしょうか?


しかし、墨子はただの理想主義者ではありませんでした。


誰よりも戦争を憎んでいた一方で、

政治に触れる以上、戦いは避けられず、

加えて、その嫌悪する戦争がとても上手だったのです。


楚という国に、公輸盤という名高い技術者がおり、城を落とすための新兵器を開発し、

楚王は、その兵器を用いて、宋という国を亡ぼす計画を立てます。

墨子がそれ聞きつけ、楚王に不戦の説得を試みますが、上手くいきません。

そこで、墨子は楚王に、公輸盤との机の上での模擬戦を提案します。戦争のシミレーションですね。

その結果、九回にも及ぶ攻城戦に墨子は耐え忍び、楚王は攻め込んでも勝てそうにないことから、侵攻を諦めたとされております。

そのあまりにも堅い守りから「墨守」という言葉が残っているくらいです。


私は時に、「理想」と「現実」という壁を感じる時、墨子の心の内に思いを馳せます。


墨子は、この世の全ての人々がお互いを愛する日がくると本当に思っていたのでしょうか?


争いが無くなり、犯罪が無くなり、戦争が無くなる日が来ると思っていたのでしょうか?


もはやそれは確認できません。

しかし、一つ言えるのは、墨子は諦めなかったという事であり、

その道を進み続けたという事、

何より彼の教えが現代にも引き継がれているという事です。


およそ人の世の中で、争いの無かった時代はありません。


自分を重用する王も、

自身を慕う弟子も、

自らが嫌悪する戦争の上手なやり方ばかりを聞きたがり学ぼうとする。


生きるか死ぬかの戦国時代。

それも無理からぬことでしょう。


目の前にある現実から眼を背けず、

同時に己の理想を追い求める事も諦めなかった「墨子」


その芯の通った生き方に、何だか痺れるんですよね。




Comentarios


bottom of page